今回は、即身仏(ミイラ仏)の弘智法印宥貞が祀られている貫秀寺の歴史、拝観、お守り、御朱印情報などをご紹介します。貫秀寺と即身仏の弘智法印宥貞について知りたい人は、ぜひ読んでみてください。
即身仏(ミイラ仏)の弘智法印宥貞の歴史
弘智法印宥貞の読み方は「こうちほういんゆうてい」です。弘智法印宥貞、1591年に現在の島根県松江出身で幼名は幼名を貞作として誕生しました。1614年の23歳の時に出家し数々の修行を開始、92歳の時に即身仏になる決意をされました。即身仏になった目的理由は1683年に流行していた疫病から、人々を救いたいとの一心でした。なお入定は土中ではなく石棺のなかでした。また、薬師信仰による入定も他の即身仏と違い珍しいです。
生前には薬師如来の十二大願を説法しており、人々の病気を治し延命を祈願するための12の誓いになります。また、令和元年に国立科学博物館で行われていた、『特別展 ミイラ ~「永遠の命」を求めて』にて即身仏の弘智法印宥貞は展示されておりました。木棺及び宥貞法印行状記は、浅川町指定文化財に指定されています。
即身仏の弘智法印宥貞が祀られる貫秀寺の歴史
貫秀寺(かんゆうじ)は弘智法印宥貞の即身仏(ミイラ仏)が祀られています。薬師堂の天井絵はとても美しく、拝観された際には天井を見上げてみてください。福島県で唯一、即身仏が祀られている寺院となります。以前は秘仏とされていましたが、現在は事前予約することにより拝観が可能です。
貫秀寺の周りは田園風景が広がっております。東日本大震災の被害を受けましたが、現在は修復されており即身仏も無事に祀られています。即身仏となる際に入っていた木管もライトアップされ展示されており見ることができます。
曹洞宗金久山貫秀寺の行き方 福島県石川郡浅川町周辺宿泊地
お寺の名前 | 曹洞宗金久山貫秀寺 |
住所 | 福島県石川郡浅川町大字小貫字宿ノ内63 |
拝観料 | 大人300円 中高生200円 小学生100円 |
駐車場 | 有り |
拝観については、事前に連絡が必要となります。アクセスは車が必要になります。
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