歴史の教科書や旅番組で「即身仏(そくしんぶつ)」を見たとき、心の奥でふと湧き上がる、しかしあまり大きな声では言えない疑問がありませんか?
「土の中に埋まってから鉦(かね)が止むまで生きていたって言うけど……その間、トイレはどうしてたの? そのまましちゃったら、即身仏になれないんじゃない?」
まさにその通りです。どれほど高潔な精神を持っていても、人間である以上、生理現象からは逃げられません。
実は、インターネット上では「肛門に栓をしていた」というまことしやかな説も流れていますが、即身仏の修行プロセスを医学的・科学的な視点から紐解くと、もっと壮絶で、ある意味で理にかなった「物理的な解決策」が存在していたことがわかります。
今回は、精神論だけでは語れない、即身仏修行における「排泄との戦い」と「人体の限界」について、史実と研究に基づき解説します。
専門領域:民俗学・宗教史の裏側
「綺麗な伝説」よりも「泥臭い人間ドラマ」を愛するリサーチャー。即身仏については、山形県の出羽三山現地取材や、新潟大学医学部等の学術レポートをベースに、「人体」としての側面にフォーカスして情報を発信しています。
1. 「木食行」で体質を変える:排泄物を極限まで減らす準備
まず前提として、即身仏はいきなり土の中に入るわけではありません。その前段階として、1000日、場合によっては数千日にも及ぶ「木食行(もくじきぎょう)」が行われます。
これは、米や麦などの「五穀」を断ち、木の実・木の皮・山草だけを食べて命をつなぐ修行です。

この食生活を続けると、体内の脂肪は燃焼し尽くされ、筋肉も削げ落ちていきます。医学的に見れば、これは緩やかな「飢餓状態」ですが、トイレ事情という観点では非常に重要な意味を持ちます。
食べる量が圧倒的に少なく、かつ繊維質ばかりになるため、排泄物の量そのものが劇的に減り、水分を含まないコロコロとした状態に変化していくのです。つまり、土中に入る数年前から、体はすでに「出さない(出にくい)体」へと改造されていたわけです。
2. 入定直前の「漆(うるし)」摂取:栓をするのではなく「出し切る」
さて、ここからが核心です。いくら排泄物が減ったとはいえ、土中入定(どちゅうにゅうじょう)の直前、お腹の中に便が残っていたらどうなるでしょうか?
死後、体内のバクテリアが繁殖し、遺体は内側から腐敗してしまいます。これを防ぐために行われたとされるのが、「漆(うるし)の茶」を飲むことでした。
【結論】: 漆は「防腐剤」であると同時に、強烈な「下剤・嘔吐剤」としての役割を果たしました。
漆の樹液には毒性があり、摂取すると激しい嘔吐や下痢を引き起こします。これによって、胃や腸に残っているものを強制的にすべて排出し、体内を空っぽにすることができたのです。「栓をする」のではなく、「完全に出し切る」というのが、彼らが選んだ物理的な解決策でした。
想像してみてください。極限の修行で弱り切った体に、さらに毒を入れて上からも下からも出し切る苦しみを。即身仏が「究極の苦行」と呼ばれる所以は、単なる断食ではなく、こうした人体のメカニズムへの挑戦にあったのです。

3. 「肛門に栓をする説」は本当か?
では、ネット上でささやかれる「肛門や口に綿や石を詰めて栓をした」という説は嘘なのでしょうか?
これについては、「生前に行われたか、死後に行われたか」を区別して考える必要があります。
| 俗説の内容 | 検証・事実 |
|---|---|
| 入定前に自分で栓をした |
❌ 否定 生きたまま排泄を物理的に止めることは、敗血症などを招くため医学的に考えにくい。 |
| 死後に弟子が処置した | ⭕ 事実 |
| 漆で内臓を空にした | ⭕ 事実 |
エジプトのミイラ作りでは、脳や内臓を取り出し、詰め物をする工程が一般的です。日本の即身仏に関しても、昭和に行われた新潟大学等の調査で、一部の即身仏から死後に施されたと見られる処置(内臓の摘出や詰め物)の痕跡が発見されています。
つまり、「栓をする」という行為自体は、保存処理の一環として死後に行われた可能性が高いのですが、それが伝言ゲームのように広まる過程で「修行中に栓をして耐えた」というグロテスクな伝説に変わってしまったと考えられます。
4. 土中入定後のシステム:木炭という知恵
最後に、いよいよ土の中に入った後(入定後)の話です。万が一、生理現象が起きてしまったらどうしていたのでしょうか?
入定に使われる石室や木棺の周りには、大量の「木炭」が敷き詰められていました。
- 強力な脱臭効果: 臭いを外に漏らさない。
- 吸湿・乾燥効果: 地中の湿気や、体から出る水分(汗や排泄物)を吸い取る。
彼らは、漆で体内を空にし、さらに木炭という「天然の吸水ポリマー」のような環境に身を置くことで、物理的にも腐敗や汚れを防ぐシステムを構築していたのです。
まとめ:トイレの疑問から見える凄まじい覚悟
即身仏のトイレ事情について、調査結果をまとめます。
- 数年前から準備:「木食行」で脂肪と筋肉を落とし、排泄物が極端に少ない体質に変える。
- 直前の洗浄:「漆」を飲んで嘔吐・下痢を促し、胃腸の中身を完全に空にする(栓ではなく排出)。
- 環境の整備:「木炭」で埋め尽くされた空間に入り、水分や臭いを吸着させる。
「トイレはどうしていたのか?」という疑問の先に見えたのは、単なる我慢強さではなく、人体の生理機能を知り尽くし、それをコントロールしようとした執念深いまでの合理的思考でした。
もし即身仏を拝観する機会があれば、その精神性だけでなく、「生きながらにして肉体を物体(仏)へと変える」ために行われた、この壮絶な物理的プロセスにも思いを馳せてみてください。きっと、今までとは違った畏敬の念が湧いてくるはずです。
ちなみに、臭いはどうだったのか?詳細はこちら→

なぜそこまでして腐らない体を作ったのか、科学的な仕組みはこちら
参考文献・出典
・松本昭『日本のミイラ仏』(六興出版)
・新潟大学医学部解剖学教室による即身仏調査報告書
・究極の存在「即身仏」-日本最古と日本最後の即身仏をめぐる – にいがた観光ナビ