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即身仏の仏海上人が祀られる大悲山観音寺の歴史と拝観・お守り・御朱印情報【新潟県村上市】最後の即身仏

今回は、即身仏(ミイラ仏)の仏海上人が祀られている大悲山観音寺の歴史、拝観、お守り、御朱印情報などをご紹介します。大悲山観音寺と即身仏の全海上人について知りたい人は、ぜひ読んでみてください。

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目次

即身仏(ミイラ仏)の仏海上人の歴史 日本最後で新しい即身仏

仏海上人の読み方は「ぶっかいしょうにん」です。仏海上人(佛海上人)は、1828年(文政11年)に近藤庄次郎として現在の新潟県村上市安良町の出身で誕生しました。16歳の時に湯殿山注連寺にて修行を開始して18歳の時に本明寺に弟子入りしました。1862年に木食行を開始し76歳(1903年明治36年)の時に観音寺裏の塚に入定しました。日本最後で新しい即身仏と言われています。

1961年の昭和36年に発掘されました。遺言状では入定してから3年後の1906年に発掘される予定でしたが、明治政府の憲法に「墳墓発掘禁止令」「死体損壊禁止令」が発令されたことにより、1961年と期間が空いたようです。他の即身仏と異なり土中入定ではありません。そのためか、仏海上人はきれいに爪や歯が残っています

仏海上人は他の即身仏と異なり、生前の貴重な写真画像も残っています。きれいな髭を生やし凛々しい顔立ちでした。

即身仏の仏海上人が祀られる大悲山観音寺の歴史

大悲山観音寺(だいひざんかんのうじ)は全海上人の即身仏(ミイラ仏)が祀られています。1282年に権大僧都宗快上人にて開基されたと伝えられています。現在までには何度か火災が起きていますが、塚に入定されていた即身仏は無事に安置されていました。観音寺の境内には観音堂に千手観音菩薩も安置されています。毎年10月17日と18日は厨子の御開扉が空き拝観できます。

左右に大きな金剛力士像がある仁王門もとても立派です。また仏海上人入定墓もあり、墓裏に残された入定墓の竪穴も見ることができます。大悲山観音寺には仏海上人の即身仏が安置されている他に、実際に使われていた松阪棺や墨痕などの遺品や発掘時の写真が展示公開されています。

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大悲山観音寺のお守りと御朱印

大悲山観音寺でもお守りと御朱印が販売されています。参拝の証として1枚ずつ丁寧に手書きで記入をいただけます。また御利益は家内安全、商売繁盛、必勝祈願、病気平癒など様々なことを祈願できます。御朱印めぐりされている老若男女が参拝に来ています。

大悲山観音寺の行き方 新潟県村上市周辺宿泊地

お寺の名前大悲山観音寺
住所新潟県村上市肴町15−28
駐車場有り

境内・緒堂の拝観は無料で誰でも無料で見られます。即身仏の参拝については、事前予約制となります。
村上駅から10分ほどと他の即身仏よりもアクセスしやすいところに安置されています。
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大悲山観音寺

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