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即身仏の忠海上人が祀られる砂高山海向寺の歴史と拝観・お守り・御朱印情報【山形県酒田】

今回は、即身仏(ミイラ仏)の忠海上人が祀られている砂高山海向寺の歴史、拝観、お守り、御朱印情報などをご紹介します。海向寺と即身仏の忠海上人について知りたい人は、ぜひ読んでみてください。

目次

即身仏(ミイラ仏)の忠海上人の歴史

中海上人の読み方はちゅうかいしょうにんです。中海上人は、1697年山形県鶴岡市鳥居町の庄内藩富樫定右衛門家に生まれました。元々はお侍さんでありましたが50歳の時、人々の苦しみを救い、願いを叶えるために、木食行者となり、即身仏となることを決意した。木食行者とは木食上人を指し、「上人」とは、尊敬の念を込めて僧侶を指す言葉であることがわかった。

木食(もくしょく)とは、穀物を絶ち、食肉を避け、木の実や草だけを食べる修行を積んだ僧侶を指す言葉である。
木食行には(1)五穀を絶ち、火食しない(2)五穀を絶ちながら回峰行、(3)梵字の読み書き、解釈などの修行もしていたようです。

中海上人は苦難の人生を歩み始めた。1755年2月21日、58歳のとき、入地して8年間修行をして即身仏(ミイラ仏)となった。海光寺に祀られている忠海上人や円明海上人が他の即身仏と比較して黒いのは、地中から掘り出し、ろうそくや蓬で燻しながら乾燥させました、さらにその表面に柿渋を塗布したためとなります。他の即身仏を見てから、忠海上人を見た人は驚くかと思います。

即身仏の忠海上人が祀られる砂高山海向寺の歴史

海向寺には忠海上人と円明海上人の二人の即身仏が祀られていて複数の即身仏が祀られているのは、日本ではこの海向寺だけです。海向寺は、日本の山形県酒田にある歴史的なお寺です。海向寺は、そのユニークな建築と、日本仏教の歴史における重要な役割で知られています。

海光寺は平安時代(800年〜835年)、真言宗の開祖である弘法大師空海によって創建されたと伝えられています。人々の苦しみを救い、願いを叶えるために、忠海上人と円明海上人は千日間の修行を積み、即身仏となった。その即身仏や遺品は現在、即身仏堂に安置されています。即身仏を拝観することができます。

砂高山海向寺のお守りと御朱印

海向寺でもお守りや御朱印は販売されており購入することが可能です。海向寺のお守りは、御朱印が人気で、お寺で決められた場所に貼るとご利益があると言われています。12年に一度、丑年に中海上人、延命上人が着ていた服が替えられます。最近は2021年は7月に交換が行われ両上人が着ていた衣を小さく分割し、お守りの中に封印されています。即身佛堂内、受付、本堂内でご購入可能です。

御朱印は目が沢山ある白沢(はくたく)が記載されており、瑞獣の一種で、病魔除け・天災除けのご利益があるようです。2020年時点では件(くだん)と書かれていたようですが、詳しい方が白沢でないかとつぶやいたところ、お寺の人が確認して、修正されたようです。

砂高山海向寺の行き方 山口県酒田周辺宿泊地

お寺の名前砂高山海向寺
住所山口県酒田市日吉町二丁目7-12
拝観料金大人500円 高校生300円 小中学生200円
駐車場普通車10台分あり

砂高山海向寺は山口県の坂田市にあります。
酒田駅からは徒歩で22分 車の場合5分ほどのアクセス距離にあります。
酒田周辺にはいくつか宿泊用のホテルや旅館があります。
>>海向寺 即身仏酒田周辺のホテルを見る

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