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即身仏の石頭希遷が祀られる總持寺の歴史と拝観・お守り・朱印情報【神奈川県横浜鶴見】

神奈川県横浜市鶴見区にある**大本山總持寺(そうじじ)は、曹洞宗の本山として全国から多くの参拝者が訪れる名刹です。この總持寺には、禅の祖師として知られる石頭希遷(せきとう きせん)の即身仏が祀られていると伝えられています。
本記事では、石頭希遷の生涯と總持寺の歴史、拝観の見どころ、御朱印・お守りの授与、アクセス情報までを詳しく紹介します。歴史・信仰・文化が重なるこの寺院を、信仰者にも観光者にもわかりやすく解説していきます。

>>即身仏の知識・歴史・お寺まとめはこちら

目次

即身仏(ミイラ仏)の石頭希遷の歴史

石頭希遷の読み方は「せきとうきせん」です。石頭希遷は700年に産まれ湖南省南岳(衡山)の南台寺で791年の時に入定しました。1911年になりお寺が革命軍による放火により焼失しましたが、日本の研究科であった山崎彪さんが三井物産の船に日本に救出させました。昭和45年から現在にかけては、大本山總持寺常照に祀られています。

石頭希遷は参同契の著者(中国唐代の禅僧石頭希遷による禅の詩)でも有りの中国禅宗第8祖でした。曹洞宗では毎朝の仏祖諷経で『宝鏡三昧』と唱えられています。


石頭希遷は、無際大師の高僧 六祖慧能の弟子であった?

<南方禅宗の系統図>
六祖慧能┳南岳懐譲━馬祖道一━百丈懐海┳為山霊佑━仰山慧寂→仰宗 
    ┃              ┗黄薜希運━臨済義玄→臨済宗
    ┗青原行思━石頭希遷┳薬山惟厳…洞山良介━曹山本寂→曹洞宗
              ┗天皇道悟…雪峰義存┳雲門文偃→雲門宗
                        ┗玄沙師備→法眼宗

第六番目の祖であり六祖と称される六祖慧能の弟子家系として、石頭希遷は愛されていました。石頭希遷は八祖になり勅命で無際大師でした。

1911年に辛亥革命時に革命軍により中国にあるお寺も被害を受けて火災に巻き込まれましたが、研究家・山崎彪さんが火災の中から即身仏を救い出し、三井物産の船で日本に避難させたことも歴史に残っています。
そのために、関東の神奈川県に祀られている即身仏として貴重です。

即身仏の石頭希遷が祀られる大本山總持寺常照の歴史

能登に始まる「總持寺祖院」の創建

總持寺のはじまりは正式名称「諸嶽山總持寺」です、1321年(元亨元年)、曹洞宗の高僧・**瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)**によって、石川県輪島市門前町に創建された「總持寺祖院」にあります。
瑩山禅師は、道元禅師から数えて三代目の法系にあたる人物で、「女性の救済」や「在家信徒への教化」に力を入れたことで知られています。

祖院では、男女や身分を問わず修行に参加できたことから、当時としては非常に開かれた禅の道場でした。
この理念が、後に總持寺が全国から修行僧を受け入れる「開かれた禅寺」として発展する基盤になりました。

明治時代の大火と横浜鶴見への移転

明治31年(1898年)、祖院の大部分が大火事によって焼失
復興が困難だったため、明治40年(1907年)、時の管長・石川素童禅師の決断により、
横浜市鶴見区に新たな本山を移転・再興することが決定しました。

当時の横浜は、開港都市として発展しつつあり、海外との交流や都市交通の利便性が高かったため、
「禅の精神を広く世界へ発信する拠点」として理想的な場所とされたのです。

鶴見の新伽藍は1911年に竣工し、以後「大本山總持寺」として曹洞宗の中心的存在となりました。

文化と信仰の中心としての現在の總持寺

現在の總持寺は、約50,000坪(東京ドーム3個分)の広大な敷地を持ち、
修行僧が日々の禅行を行う「僧堂」、法要の中心となる「大祖堂」、
そして一般の参拝者も拝観できる「三門」「仏殿」などが整然と配置されています。

また、境内では年間を通じてさまざまな行事が行われています。
代表的なものに「大般若祈祷会」「花まつり」「除夜の鐘」などがあり、
地域住民からも「心の拠り所」として親しまれています。

總持寺のお守りと御朱印

總持寺には2種類の御朱印が常時販売されており購入できます。・「太祖常濟大師」の御朱印・「三寶大荒神」の御朱印となります。昔には墨でだるま絵を書ける住職さんがおり、幻の御朱印と御朱印巡りされている方から呼ばれていたり人気でした。御朱印帳も大祖堂の刺繍がされておりとても綺麗です。お守りも販売されています。

總持寺の行き方 神奈川県横浜市鶴見区辺宿泊地

お寺の名前總持寺
住所神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1
駐車場有り 100台分

境内・緒堂の拝観は無料で誰でも無料で見られます。諸堂拝観は1人に付き2900円でお昼付きで2週間前に予約にて可能です。
村上駅から10分ほどと他の即身仏よりもアクセスし安いところに安置されています。
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筆者の考察とまとめ

石頭希遷は、「坐禅そのものが仏道の実践である」と説きました。
肉体を通じて仏を求める即身仏信仰は、まさにその精神の延長線上にあります。

總持寺に伝わる希遷の即身仏は、単なる遺体ではなく、「修行を通じて己を超えようとした人間の象徴」 と言えるでしょう。
その静寂な姿には、現代人が忘れがちな「無常」「自己との対話」の大切さが宿っています。

「坐すことによりて、すでに行を成ず」

石頭希遷禅師

今日の總持寺は、修行僧の道場であると同時に、一般の参拝者にも開かれた「心を整える場」としての役割を果たしています。

境内の静けさや僧の姿勢に触れるだけで、人は知らず知らずのうちに自分の呼吸や心の動きに意識を向けるようになります。
この体験こそ、“現代に生きる禅” そのものであり、忙しい日常の中で私たちが取り戻すべき時間なのではないでしょうか。

大本山總持寺常照

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