「即身仏」と「即身成仏」の言葉・漢字は似ていますが、言葉の意味は全く違います。
今回の記事では、即身仏と即身成仏の意味の比較を解説します。
成仏とは
成仏とは
煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)して無上の悟りをひらくこと。転じて、死んで仏になること。また単に、死ぬこと。
Oxford Languages
身心を悩まし煩わせる心=煩悩が消えて、悟りを開いた状態のことです。生きていた現世に残す食いが無くなり仏となることです。釈迦は悟りを開くことにより仏陀となり、煩悩から断つことで様々な苦しみから逃れることができました。そのような背景から成仏と言われるようになりました。
即身仏と即身成仏の違い
即身成仏:密教行者が身密、口密、意密の三密による仏菩薩との加地感応により、父母出生の今生の身であっても速やかに悟りに至る事。(現世に存在しながら、大日如来と結合して仏となる)
即身仏:生きたまた人体が保つよう修行を行い、死後も肉体を保ったままの状態で仏となる。物理的な身体が仏とされる。
一般的な仏教は、何度も輪廻転生して、生まれ変わり続けながらずっと修行し成仏できるとされています。
即身仏と即身成仏の考えについては、漢字が似ていますが違いがあり、全く意味が異なることが分かりました。
即身仏は現代も多くの日本のお寺にも保存されており、仏として祀られています。
>>即身仏のあるお寺一覧
なお即身成仏の言葉の語源は空海が密接に関係があるとされており、空海の書いた「即身成仏義」から歴史が始まったと言われています。
空海の書いた即身成仏義とは?
空海は、法身大日如来こそ真実の仏陀と「即身成仏義」の書で定めたとされています。本書には即身成仏の意味解説で登場した、三密加持(三密)の修行や三部作についても明記されています。
即身成仏義はとても難しい言葉が登場していきますが、真言密教の教えについて知ることができます。