生前から自らの死後に即身仏となることを決め、それを実践し、死後に身体が腐敗することなく、保存されたままの状態で残された人々のことを指す「生きていた即身仏」。彼らは、自分自身が仏となり、人々の信仰の対象となることを望み、瞑想や苦行を通じて自己の精神と肉体を鍛え、死後に即身仏となるように準備を整えました。
生きていた即身仏とは?
「生きていた即身仏」という言葉が示すように、これらの人々は、自分たちが生きている間に自らの身体を整え、苦行を続けることで、即身仏になるための条件を整えていました。彼らは山修行・絶食・お経など様々な苦行を耐え精神・肉体を整え生きたまま即身仏に成ることの準備をします。準備が整うと生きたまま土の中に入定し即身仏となります。
実際に即身仏は、何百年前に生きていた実際の人間の体なのです。とても感慨深く不思議ですよね。漢字の通り、”即ちその身が仏”となるのです。
即身仏となり、今現在の後世に多くの人々に信仰の対象として崇拝され、数多くの伝説を生み出しました。彼らの生涯や、苦行の内容、身体の加工方法、即身仏の保存方法などについては、多くの書物や伝承があります。しかし、それでも彼らの真の姿や、なぜ彼らがこのような行為に踏み切ったのか、といったことは完全に解明しきれていません。
>>即身仏が腐敗しない理由
生きていた即身仏と現代社会
現代の科学技術が進歩する中で、生きていた即身仏の存在はますます不思議なものとなっています。彼らが行った行為や、その信仰について、現代社会に生きる私たちにとって、何を意味するのでしょうか。
生きていた即身仏は、自己の肉体を通じて魂の浄化を目指し、それを達成することで、自らの存在を不滅のものにしようとした人々です。彼らが信じたことや、その行為は、現代の私たちにとっても、考えるべきことがあるのではないでしょうか。
例えば、現代社会においては、物質的な豊かさや、快楽主義などが重視されることが多くありますが、それだけでは満足できない人々もいます。彼らは、心の浄化や、より高次の目的を追求することで、自らの存在をより意味あるものにしようとしています。彼らが行った行為は、現代社会に生きる私たちにとっても、多くの示唆を与えてくれるものとなっています。
生きていた即身仏は、不朽の身体保存だけではなく、より高次の目的を目指すことの大切さや、自己の身体や存在について考えるきっかけを与えてくれるものとなっています。彼らの信仰や行為を学び、自己の魂を浄化し、より意味ある存在を手に入れることができるかもしれません。