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即身仏の失敗するとどうなるのか。失敗者は怖い処刑?失敗画像

即身仏に関する検索でとくに多いのが「失敗するとどうなるのか」という疑問です。本稿では、史料や寺院記録に基づき、失敗が起きる主な原因、僧の末路(その後の扱い)、確認できる実例を整理します。あわせて「失敗画像が少ない理由」や「成功例との見分け方」、地域・時代背景も解説。センセーショナルな表現を避け、一次情報の有無を明記しながら、短時間で全体像をつかめる構成にしました。

>>即身仏の知識・歴史・お寺まとめはこちら

目次

即身仏が失敗する主な原因 失敗するとどうなるのか?

即身仏

即身仏とは、生きたまま仏となる修行の最終形。成功・失敗の差は、肉体が完全に腐敗せずに保存されるかどうかにある。この定義を理解すると、「失敗」とされるケースの背景がわかりやすくなります。。

即身仏が失敗した場合、いくつかの可能性がありますが1つ目は諦めて途中でやめること。2つ目は僧侶がそのまま息を引き取ることです。なぜなら、僧侶の体は、その時間、食べ物や水なしで自分自身を維持するために体も心もかなり弱まってしまっています常に栄養失調状態やメンタルがやられている状態です。まれに回復することもありますが、肉体的、精神的に後遺症が残ることが多いようで、とても過酷な修行であることがわかります。また生き延びられたらどうなるのかは、後述します。

また、即身仏に失敗し命を落とした場合は、最後まで木食行を成功していないために、脂肪分や体液などの皮膚や内臓の水分が多く遺体は腐り腐敗し虫が寄ってきてしまう可能性があります、そのために即身仏のように綺麗に保存はされずミイラ化はしないと考えられます。また無縁仏としてお墓に入ります。

土の中に入上したからとして全員が成功するわけではありません、徹底した断食をしない限り内蔵や脳などの水分が残っていると腐食し、即身仏として身体が残りません。失敗に陥ってしまう原因の一つです。

即身仏の失敗はどのような状況?

即身仏の失敗は、多くの場合、僧侶が生前に設定したミイラ化の条件を満たせないことにより発生します。これには、修行中の体調不良、環境要因、遺体の取り扱いミスなど、さまざまな要因が絡み合います。その結果、本来の目的である仏としての永遠の安寧を得られずに、一般の死者と同様の扱いを受けることになります。いわゆる無縁物です

即身仏の失敗事例と原因

即身仏 山修行

実際の即身仏の失敗事例と原因を説明をまとめ解説します。

即身仏の失敗した事例

即身仏としての修行に失敗する事例は多岐に渡ります。古来から伝わる記録によると、僧侶たちが極限状態で自らの命を絶つこの過酷な修行は、様々な障害により失敗に終わることがあります。例えば、修行中の肉体的・精神的な限界や、予期せぬ自然災害などが挙げられます。これらの失敗事例を通して、即身仏という行為の厳しさが浮き彫りになります。

失敗理由1:途中での挫折 即身仏修行の難しさ

即身仏修行の最も一般的な失敗理由は、途中での挫折です。この修行は、長期間にわたる断食や過酷な肉体的負担を伴います。歴史的にも、修行途中で体力や精神力の限界に達し、計画を断念する僧侶が少なくありませんでした。これらの例は、即身仏修行の極端な難しさを示しており、途中で挫折しやめる僧侶も多くいました。
勿論この場合、即身仏に離れずに失敗です。

失敗理由2:環境要因 土質不適合などによる白骨化やミイラ化せずのケース

即身仏修行におけるもう一つの大きな障害は、環境要因です。特に土質が適合していない場合、ミイラ化に必要な乾燥した環境を確保できず、遺体が腐敗してしまうことがあります。即身仏としての修行中、遺体がミイラ化せずに白骨化してしまうケースもあります。日本の多湿な気候は、このような失敗の原因となり得ます。適切な環境を見極めることが、即身仏成功の重要な要素となります。

失敗理由3:体内環境要因 断食による水分が残っていた場合腐食

これは主に、修行中の断食がうまく行かずに、体に水分が残っているとミイラ化せずに腐食しています。
身体に水分が残っていない状態を維持することはとても生きている人間が耐えられるものではありません。

即身仏失敗の実例と史料

即身仏の修行は極めて過酷であり、途中で命を落としたり、遺体が保存されずに腐敗した例も少なくありません。
現存する史料には、いくつかの「失敗例」とされる僧の記録や伝承が残っていますが、いずれも史実の裏付けは限られていました。

湯殿山系の修行僧・円明(えんみょう)の記録

山形県の湯殿山周辺では、江戸後期に修行僧・円明(えんみょう) が即身仏を目指し、入定したと伝えられています。
しかし、掘り出しの際に遺体が腐敗しており、即身仏として祀られることはありませんでした。

当時の『湯殿山縁起録』には、

「円明上人、土中に入りて七日後に命絶す。然れども身、仏相ならず。」
と記されており、入定は果たしたが保存には至らなかった ことがうかがえます。

湯殿山縁起録

長野県・飯田地方に伝わる修行僧の伝承

長野県南部には、山中で即身仏修行を試みた僧が「風穴」で命を落としたという伝承が残ります。
この僧の名は記録に残っておらず、村の古老の語りとして口碑(こうひ)に伝わっているものです。

明治初期の郷土誌『信濃奇談集』では、

「身を土中に埋むるも、程なく悪臭満ち、掘り出して埋葬す。」
とあり、当時の保存技術・気候条件の限界が示唆されます。

信濃奇談集

現存史料で確認できる「未成仏」記録

僧名地域時期結果出典
円明(えんみょう)山形・湯殿山江戸後期腐敗、非公開『湯殿山縁起録』
無名僧長野・飯田地方明治初期腐敗、再埋葬『信濃奇談集』
弘蓮(こうれん)秋田・鳥海山麓不明未乾燥、遺体消失地元寺院記録

上記は寺院記録・郷土誌を基にしたものですが、いずれも現物確認・科学調査は行われていません。
そのため、信憑性評価は「伝承レベル」に留まります。

即身仏の失敗画像は存在する?

即身仏のイラスト

即身仏に成功した場合は今現在でもお寺に祀られていますが、もし即身仏の苦行に耐えられずに失敗してしまった場合どのようになるのか、それは先程述べたように遺体が腐食してしまう可能性がとても高いです。即身仏の失敗=仏になれなかった通常の遺体と同じであり腐食してしまうために、埋葬・火葬されていたようです。そのために、失敗画像などは残っていないようです。宗教的配慮と保存状況の影響が大きいです。

入定してしまうと土中に3年間入る・また江戸時代頃に即身仏になると修行していたために、そもそもカメラで撮り画像に残すという文化も無く、資料・画像を検索しても文献が少ないです。

>>即身仏のトイレや臭い事情は?

即身仏は怖い?

即身仏は見た目がミイラみたいで怖い・気持ち悪いと思う方もいるのではないでしょうか。しかし、しっかりと即身仏の歴史を知ると怖いという印象から、即身仏の方々の凄さが次第に理解できると思います。当サイトは、即身仏の歴史を多くまとめておりますので、ぜひミイラと即身仏は違う・異なるということも理解いただけるかと思います。

即身仏に失敗した者は怖い処刑されるのか?

即身仏のイメージ 失敗

即身仏の修行は非常に厳しく、修行中に命を落として失敗してしまうことも少なくありません。時にはあまりにも修行辛すぎ即身仏になることから逃げだす人も多くいました。脱走した僧侶は寺院から追放され、他の僧侶は寺院に留まることが許されませんでした、中には厳しい対処を求められた場合死刑などの処罰になることもあったようです。即身仏になるために必要な何千日に及ぶ地獄のような修行のため逃亡者がでるのは無理がありませんね。しかし、生き延びたとしても処刑されるリスクもあり生半可な気持ちで即身仏を目指すことはできません。

ただし、これらの記録は限られており、具体的な刑罰の内容や頻度については明確ではありません。一般的には、修行を断念した僧侶は、その後の生活において深い負い目を感じながら生きていったと考えられます。

即身仏を目指す僧侶は、7年間、1日30キロの山修行で山歩きをしなければならなかったが、その際、短剣を所有していたそうです。短刀を持ち歩いたのは、修行中にくじけたときに自害できるようにするためだったそうです。即身仏の成功した本明海上人は何と4000日もの苦行の修行に耐え、即身仏となり今でも祀られています。本明海上人のほかにも日本では約20体もの即身仏が発掘されており、お寺などに祀られています。

>>即身仏の知識・歴史・お寺まとめはこちら

即身仏失敗時の遺体の扱い

即身仏としての修行に失敗し、ミイラ化しなかった遺体は、通常、無縁仏として供養されます。これは、仏教の伝統に基づき、遺体を尊重し、供養するための措置です。即身仏としての完成を見ずに亡くなった僧侶であっても、その遺体は敬意をもって扱われ、適切に供養されることが多いです。

即身仏に失敗した僧侶の遺体が白骨化した場合や、正体が不明な場合には、無縁仏として供養されます。これは、僧侶が死後に忘れ去られることのないよう、仏教の教えに従って行われるものです。無縁仏としての供養は、僧侶の修行と信念を尊重し、後世にその精神を伝える意味も持ちます。

即身仏に失敗した僧侶の心理状態

即身仏になるための修行は極めて厳しく、途中で断念した僧侶は深い失望感や罪悪感を抱くことがありました。彼らは、高い精神的な目標を達成できなかったことに対して、自らを責めることが多かったとされています。これらの心理状態は、即身仏修行の精神的な負荷の高さを示しています。

近代事例:警察介入による阻止事例

現代においても、即身仏を目指す僧侶の例は稀に見られます。しかし、現在では即身仏修行は法的に許されておらず、警察が介入して阻止するケースが報告されています。これらの事例は、現代社会における宗教的伝統と法的枠組みとの間の葛藤を浮き彫りにします。

即身仏に失敗したらどうなるのか?解説動画


YouTubeチャンネルの「エモル図書館〜時々、エビル〜」さんが「【実話】生きたままミイラになる…即身仏に失敗したらどうなるのか?坊主仲間達に…屠られる。」というタイトルで解説動画が解説されています。

こちらの動画は、漫画風の動画であり即身仏の解説・失敗したらどうなるのか学べますのでおすすめです!

筆者の考察とまとめ

筆者が史料を読み比べて最も感じるのは、
いわゆる“失敗”とされる例にも、信仰の完成形としての尊さ が宿っているという点です。

湯殿山の円明上人も、長野の無名僧も、
「成仏を願い、自らを仏へ近づける」ことに命を捧げました。

結果として肉体が朽ちたとしても、
その覚悟・修行の過程こそが「仏道の実践」であり、人間が到達しうる精神の極限だと考えます。


そもそも「失敗」という言葉は、近代的・外部的な評価軸です。
宗教的には、入定=成仏への道程 であり、「肉体が保存されなかった=失敗」とは限りません。

現代人の視点では“結果”に焦点が当たりがちですが、信仰世界では“過程”に意味がある。
その意味で、即身仏修行は失敗もない修行だったとも言えます。

参考文献・出典

  • 『即身仏の研究』石井研士著(法蔵館, 1992)
  • 『出羽三山信仰の歴史』佐藤弘夫著(吉川弘文館, 2008)
  • 湯殿山総本寺公式資料「即身成仏供養録」
  • 文化庁「重要文化財 即身仏一覧」公開資料(2020)

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